知ってビックリ、面白い? 歴史上の著名人の給与
明治時代の著名人の給与です。こうして見てみますと、お偉いさんの給与は、今も昔も飛び切りです。
まずは日本海海戦の立役者から。
東郷平八郎 6000円(明治37年の海軍給典令における海軍大将の年俸)
秋山真之 1800円(当時中佐)
下記の著名人と比べても、海軍省は飛び抜けていますね。
伊藤博文(1841~1909)
明治18~21年、総理大臣、月俸800円。
高橋是清(1854~1936)
明治26年、日本銀行西部支店長(馬関=現下関)、年俸2000円。
明治44~大正2年、日本銀行総裁、年俸6000円。
大正10~11年、総理大臣、月俸1000円。
夏目漱石(1867~1916)
明治19年、江東義塾の教師、月に5円のアルバイト。
明治28年、松山中学教員、月俸80円。(このとき、松山中学の校長は、月俸60円)
明治33年、官費でイギリス留学、年間手当1800円(その間家族には年300円支給)。
明治36年、帝国大学講師(年俸800円)、兼第一高等学校教授(年俸700円)、
合計すると、年俸1500円(月に125円)。
明治40年、東京朝日新聞社入社、月俸200円+賞与。(このとき、東京朝日新聞社の社長は、月俸150円)
明治43年の大工の日当は、1円15銭でした。25日働いたとしても、28円75銭にしかなりませんでした。
明治40年に、夏目漱石は月俸200円+賞与で東京朝日新聞社に入社したので、大工の7倍+賞与をもらっていたことになります。
漱石と対極なのは、石川啄木です。その給与は次のように変遷しています。
明治39 20歳 岩手県渋民尋常高等小学校代用教員 8円
明治40 21歳 函館商業会議所書記 日給60銭
(函館)弥生尋常小学校代用教員 12円
「函館日日新聞」遊軍記者 15円
「北門新報社」校正係 15円
「小樽日報」記者 12円
明治41 22歳 「釧路新聞」編集長待遇 25円
求職活動をしていた石川啄木の手紙が残っています。
「御社では、私の如きものを、使ってはくださいますか。但し小生は、生活のため、月三十円を必要とするものにこれあり候也」 石川啄木 東京朝日新聞社への求職の手紙
でも、ようやく就職できたものの、夜勤をすることで、やっと30円の給与でした。
明治42 23歳 「東京朝日新聞」校正係 25円+夜勤5回で5円
そこで啄木は、こんな詩を残しています。
「月に三十円もあれば、田舎にては楽に暮らせると-ひよつと思へる。」『悲しき玩具』
「日本長期統計総覧」(日本統計協会、1988)
「日本史辞典」(高柳光寿・竹内理三編、角川書店、1984)
「値段史年表 週刊朝日編」(朝日新聞社、1988)
「造幣局百年史 資料編」(大蔵省造幣局、1974)
「物価の世相100年」(岩崎爾郎、読売新聞社)