「ジョブ型」雇用は一部の専門職にしか適さない
「ジョブ型雇用」という言葉がにわかにクローズアップされるようになりました。
岸田首相は令和4年10月の国会における所信表明演説で、次のように述べました。
「なぜ、日本では、長年にわたり、大きな賃上げが実現しないのか。そこには、賃上げが、高いスキルの人材を惹(ひ)きつけ、企業の生産性を向上させ、更なる賃上げを生むという好循環が、機能していないという、構造的な問題があります。一たび、このサイクルが動き出せば、人への投資が更に進み、この好循環は加速していきます」
「賃上げと、労働移動の円滑化、人への投資という三つの課題の一体的改革を進めます」
「リスキリング、すなわち、成長分野に移動するための学び直しへの支援策の整備や、年功制の職能給から、日本に合った職務給への移行など、企業間、産業間での労働移動円滑化に向けた指針を、来年六月までに取りまとめます」
また、ニューヨーク証券取引所においても岸田首相は次のようにスピーチしている。
まずは労働市場の改革。日本の経済界とも協力し、メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを、個々の企業の実情に応じて、ジョブ型の職務給中心の日本に合ったシステムに見直す。
ところで「ジョブ型雇用」とは何でしょうか?
要するに昔からある「職務給」のことです。「大工さん」の給与を想像すれば、わかりやすい。大工の給与は日当であり、腕のランクに応じて決まります。給与が上がるのは、給与相場が上昇した時(ベースアップ)および、腕が上がった時(腕のランクアップ)です。1年経ったから給与が上がる定期昇給という仕組みではありません。
「職能給」(能力に対して給与を払う制度。同一能力同一給与)がいいのか? あるいは「職務給」(仕事に対して給与を払う制度。同一仕事同一給与)がいいのか? その議論は昔からあり、議論が重ねられました。その結果、現在の職能給に落ち着いているというのが過去の経緯です。
職務給は確かにグローバルスタンダードかもしれません。しかし、だからといって日本人に合っているかどうかは別です。
筆者は、職務給に移行するべきだという意見に反論があります。
反論① 決められたことしかしなくなる
「良い会社には一つの特徴がある。誰の役割なのか決まっていない仕事であっても、それを率先してやってくれる土壌がある」
という話を聴いたことがあります。確かに社内には、一例を挙げれば草むしり等誰の仕事でもないものもあるでしょう。やれともいわれていないのに、率先してやってくれる会社は良い社風を維持しています。
職務給は「ジョブディスクリプション(職務記述書)というのが決まっているので、それに載っていない仕事はしなくなるのも弊害です。極論を述べれば、目の前のゴミ一つ取らなくなるのです。
反論② ジョブディスクリプションを作るのは容易ではない
ジョブ型雇用は、雇い入れ時にジョブディスクリプションを書面で交付するのが必要ですが、それを作るのが難しい。現場作業ならば書面化しやすいかもしれませんが、事務職になると抽象的な表現になりがちです。
この点は欧米でも同様の問題があるようで、例えば「その他使用者の命じる事項」「企業は契約書に記載した以外の課題を労働者に指示できる」といった包括的条項が記載されるようです。このように実際の運用となると難しい。
反論③ 勤務年数が短くなってキャリア形成できない
世界的にみれば職務給が主流です。職務給の世界は、昇給が基本的にないので収入を増やしたければ転職するほかありません。
筆者は中国に視察に行って、その就業規則を日本語で読む機会がありました。その就業規則には「昇給」や「賃上げ」という文字がないのです。中国人の弁護士にそこを尋ねると
「中国には昇給という習慣がない。給与は契約で決まっている」
とのことでした。
中国における従業員の勤務年数は短く、2年もすれば古参に入るといわれて驚きましたが、その昇給事情を知ってナルホドと合点がいきました。
コロナ以前のことでしたが、中国の経営者の間で日本企業の視察がブームになっていたのをご存じですか? 視察先として人気があったのは筆者の顧客です。そこは終身雇用制・年功序列型給与を標榜していたのですが、それが中国の経営者から見て新鮮だったのです。
「日本企業の強さは、長期雇用を前提にした人作りだ」
と感心して帰っていくのです。
反論④ 仕事を教えなくなる
中国に出向している日本人総経理から、こんな悩みも打ち明けられました。
「中国では、仕事を人に教えない。教えたら損するから」
というのです。それも職務給という給与の制度の弊害です。
日本人はチームワークを取り柄にしていましたが、職務給ではそれが弱まるのです。
日本人は、得意なのはモノ造りです。コツコツと巧みの技を極めるのが日本的です。日本では先輩が後輩に教えるのは当たり前ですが、外国ではありえません。チームワークで働く日本人には、職務給は向きません。
反論⑤ 配転ができなくなる
日本の会社は、正社員を新規に雇い入れる際に、職種や勤務地を限定しないことが多いもの。就業規則において「配置転換を拒否できない。拒否すれば懲戒解雇する」と明記してあるのが一般的です。
しかしながら、ジョブ型雇用では職務も、勤務地も限定するため、会社側に配転の権利がなくなってしまう。
筆者の想像では、急激な経済環境の悪化に対応しにくくなる。仕事量が急減した場合でも、ほかの仕事に転じてもらえないので、雇用を維持できなくなる。
名経営者の評伝には、不況をこうして乗り切ったという美談がよく載っていますが、かの松下幸之助にもこんなエピソードがパナソニックグループの社史に紹介されています。(以下は要約)
深刻な不況を独自の打開策で克服
松下電気器具製作所は昭和4年、新本店、工場を完成した。
ところが政府の緊縮政策による景気後退に加えて、10月24日の「暗黒の木曜日」、二ューヨーク株式市場の大暴落を契機に世界恐慌が勃発。日本経済は痛烈な打撃を受けた。工場閉鎖や首切りが一般化し、街には失業者があふれた。松下も売り上げが止まり、倉庫は在庫でいっぱいになった。時に、所主は病気静養中である。そこに、幹部から「従業員を半減し、この窮状を打開しては」との進言があった。
所主はふと別の考えがひらめき、「生産は半減するが、従業員は解雇してはならない。給与も全額支給する。工場は半日勤務にし、店員は休日を返上し、ストックの販売に全力を傾注して欲しい」と指示した。
所主の方針が告げられると、全員が歓声を上げた。おのずから一致団結の姿が生まれ、全店員が無休で販売に努力した結果、2か月後にはストックは一掃され、逆にフル生産に入るほどの活況を呈するに至った。
まさに日本的経営の見本です。
しかしながら、ジョブ型雇用になると、こんな再建物語もできなくなります。「製造職」で採用された人に「営業職」を命じることはできないからです。
反論⑥ 若者の失業率が高くなる
「若者の失業率は○%に達する」
という記事を見ることがありますよね。それはどんな国でしょうか? 例えば、中国、韓国、アメリカなど世界各国です。
なぜ、そうなっていると思われますか? その理由は「ジョブ型雇用」だからです。「ジョブ型雇用」では即戦力となる経験者が求められるので若者は逆に敬遠されるのです。
日本は、新卒で採用して長い年月をかけて育てるのが一般的です。筆者は、時間がかかってもその方が人材育成の面では良いと思っています。新卒採用というのは、日本型経営の良さです。
反論⑦ 人員整理が増える
職務給は、日本の賞与が馴染みません。外資系企業の賞与は、職務に応じた年俸を14と15カ月で割った予定されたものです。
業績が悪い時、日本企業は賞与を減額して人員整理をなるべく避けます。それに対して職務給の外資系は、業績が悪くなると賞与というクッションがないためすぐに人員整理です。
日本は、外国と違って裁判所が人員整理を容易に認めようとしません。行っても、解雇無効の判決になります。
政府の言うように職務給に移行すれば、会社が苦しい時にとんでもない窮地に陥ることでしょう。
反論⑧ 長期雇用を前提にした日本型雇用は逆に進んだ仕組みである
いまでは死語かと思いますが「職工」という言葉をご存じですか? 戦前は、工場で働く人は、基本的に職工という名の職人でした。その給与は日当制、つまり職務給です。
昔々に「庖丁一本 晒(さら)しに巻いて 旅へ出るのも 板場の修業」(藤島桓夫 月の法善寺横丁)という歌があったようですが、その世界なのです。
戦前の日本は職工の定着率が悪く生産性が悪かったのも、その雇用形態が一因でした。
戦後は「職工」を「社員化」する動きが強まります。現場の人々も社員として、月給制になって安定化したのです。そのおかげで定着率が良くなり技術革新と相まって、日本の復興につながったのです。
また、新卒を定期採用する仕組みも、戦後に広まったものです。戦前は、学卒後に就職して大手に入る人をサラリーマンといいまして、彼らはエリートでした。非エリートは幼くして丁稚奉公して、その後は職人として独立したり、職工になったりするのが常でした。
筆者に言わせれば、職工の「職務給」から、社員の「職能給」に変わったのは、給与制度の進化です。
「日本人は一つの会社でコツコツ働く」というイメージがあるかもしれませんが、それは戦後にできあったのです。
「ジョブ型雇用」が今後日本に定着するとすれば、一部の専門職に限定されるというのが筆者の見方です。それが主流になることはありません。
筆者は顧客に次のようにいっています。
「ジョブ型雇用なんて流行には乗らず、やり過ごして様子を見ましょう。逆張りで、長期雇用を支持する若手を獲得できるチャンスです」
(株)北見式賃金研究所 北見昌朗